踊らされるな、自分で踊れー12月19日京大集会についてー

今週水曜日、12月19日に京大で学内問題に関する集会が開かれます。

私たちも呼びかけ団体として、登壇者として、集会への参加を皆さんに呼びかけます。
181219京大集会「踊らされるな、自分で踊れー大学の今とこれからを語る集いー」

日:2018年12月19日(水)

時・場所:正午〜 於 京都大学時計台前、18時半〜 於 京都大学本部構内法経第七教室

主催:吉田寮自治

呼びかけ人・団体(順不同、敬称略);

吉田寮自治会、駒込武(教育学研究科教員)、藤原辰史(人文科学研究所教員)、冨岡勝(近畿大教職教育部教員)、高山佳奈子(法学研究科教員)、福家崇洋(人文科学研究所教員)、阪上雅昭(人間・環境学研究科教員)、小山哲(文学研究科教員)、松本卓也(人間・環境学研究科教員)、椎名健人(教育学研究科教員)、ピリカ全国実・関西、文学部自治会学友会常任委員会、こどもよしだりょう実行委員会、百万遍クロスロード、市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト実行委員会、「立て看規制を考える集まり」準備会

私たち、「立て看規制を考える集まり」準備会も集会の呼びかけ文に賛同し、呼びかけ団体になることに決めました。

呼びかけ文を引用します。

▼奪われていく「自由」を諦めていませんか?

 近年、京都大学においてこれまで以上に次々と私たちの自由な活動が締め付けられています。この1年では、当事者との話し合いを拒否した立て看板の規制や吉田寮への「退去期限」通告など、重要な動きが次々と起こりました。学内の管理統制の強化、教職員の雇用条件の改悪、発言権の低下、意思決定過程からの排除などの動きも、こうしたことと決して無縁ではありません。

 この延長上に起きると考えられることは、自治寮を潰すことだけにとどまらないのは自明ではないでしょうか。例えば大学当局の検閲なしには自由に出せない立て看板、ビラ、自由にイベントも行えない、構内への立ち入りも制限され、24時間自由な出入りが不可能であるといったことが起こってくるかもしれません。さらには、遠くない未来において、自由な研究、自由な学習ということも難しくなってくるかもしれません。

 国立大学法人化以降、実質 8 人の理事によって重要な方針を決める傾向が強まっています。教授会自治はたぶんに空洞化し、もっともらしい「改革」のために、教員は書類づくりに追われています。法人化以降、次第に奪われたものひとつひとつを、諦めてしまってよいのでしょうか。


▼私たちに関わることは、私たち自身で話し合い決めよう。

 京都大学において学生たちが声を上げたことで守られてきたものもあります。立て看設置場所ともなる石垣、授業料免除枠の拡大。吉田寮食堂は使用者達が直接大学当局と話し合ったことで、文化・交流活動の拠点としての意義を認められ、一度決まった「取り壊し」が覆り「補修して使用を継続する」ことになりました。

 私たちに関わることは、私たち自身で話し合って決めよう。自治とはそういうものだと私たちは考えます。関わる人々すべてが自由に意見を言い、話し合いながら、物事を決めていく。そういった大学における自治という仕組みが、今、根底から破壊されようとしています。今、ここで、なんとかこの事態を喰い止めませんか。私たちが京都大学においてまだ比較的自由に物が言えて行動できるうちに、集まって、知恵を分けあい、意思表示をしませんか。 

ちょうど1年前の12月19日、京都大学当局は、「京都大学立看板規程」を制定しました。この規程は、学生の重要な表現手段である立て看板の設置場所や大きさなどを学生の意見を聞くこともなく一方的に定めました。立て看板規制の問題点については、過去に掲載した以下の記事を読んでください。

ku-tatekancafe.hateblo.jp

多くの方の参加を!

集会には、私たちも参加します。お昼の部では登壇します。いま京大で起こっていることを考えるために、意見を出し合うために、多くの人に集会に参加してほしいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

以下も読んでください。

181219京大集会 - 主催からのアナウンス1;場の作り方について

181219京大集会 - 主催からのアナウンス2;会場状況・トイレ、記録・撮影、情報保障について

 

☆看板破壊と居直り、二次加害行為を許さない☆

 2018年3月15日夜、長谷川槙也と名乗る人物から「お前たちの看板を破壊してやった」と宣言する電話が掛かって来ました。私たちが設置した連名看板を確認しに行くと、破壊されていました(写真1)。看板は修復・再設置しましたが、数日後に、長谷川氏と共に活動している別の学生から「連名看板を設置するな」という脅迫的なメッセージが届きました(当該人物は後日、自身が二次加害と脅迫を行ったことを認め、謝罪する旨を述べたメールを送って来ました)。4月10日の夜には再び、長谷川氏によって連名看板を破壊した旨が電話によって宣言されました(写真2)。

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写真1

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写真2

 

 私たちが長谷川氏と直接話した所、「破壊の事実を認めるが、謝罪や弁償をする気はない」「お前たちの看板を壊しても、俺は何も不利益を受けない」と言われました。長谷川氏は、今日に至るまで立て看板破壊の件についての謝罪と賠償を拒否し、居直りを続けています。
 更に深刻な問題は、長谷川氏が「タテカン規制の反対派」として、署名集めや、自分(のグループ)が製作した立て看板を設置したり、京都造形芸術大学で開かれたトークショーに登壇するといった活動を行っていることです。長谷川氏と共に活動する人物の幾人かも、長谷川氏の立て看板破壊行為と謝罪拒否、居直りの事実を知っていながら共に活動を続けています。
 自治とは、自分達の内部の問題や意見の衝突に自分達自身で向き合い、自分達で対処して問題を解決していくことであると私たちは考えます。このような看板の破壊行為と居直り、そして他人が作った看板は破壊しておきながら自身はタテカン規制反対派として公に登場するといった態度は、看板破壊の被害者に対する何重もの加害行為であり、自治破壊行為です。長谷川氏には、公的に「タテカン規制の反対派」として活動するよりも前に、看板の破壊行為とその後一連の二次加害行為に対する謝罪と弁償を行うことを、強く求めます。

11月祭で展示企画やります!

 「立て看規制を考える集まり」準備会では、11月22日から25日の日程で開かれる11月祭で、パネルや写真の展示を行います。
 立て看の歴史やいま京大当局が進めている規制の問題について、写真や資料を展示予定です。
ぜひ一度、足を運んでください。

 概要

京大11月祭 展示企画
「タテカンの歴史と規制を問う」
11月22日(木)~25日(日) 各日10時~18時 (25日のみ17時終了)
京大総合研究8号館第1講義室(生協中央食堂の上、地図の59番のところです)

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またも一方的な決定

昨日7月24日、教育研究評議会などの決定を受けて、「京都大学立看板規程」の改正が決まりました。西部構内の指定箇所に立て看を設置することができるようになりましたが、その設置には厚生課に申請することが必要だとされています。

▼学内向けサイトに公表された文書

 

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どう評価するか

立て看規制が緩和される方向になったことは、これまで学生など当事者にとって望ましいことかもしれません。しかし、またしても、このような当事者の表現活動にとって重要なことを、教員の会議体のみで決めてしまったことは、学内の民主的な意思決定が軽視されていることの証左です。

私たちは、こうした一方的決定にこれまでも抗議してきましたし*1、今回の教育研究評議会の前にも以下のビラを配布しました。こうした声が聞き入れられていないことは、非常に残念です。

▼7月24日、教育研究評議会の前に会議場付近で配布したビラ

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*1:2月と3月には、学内諸団体の連名で話し合いを求める要求書を出しました。

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カルチュラルタイフーン

 本日6月24日と昨日は、カルチュラルスタディーズ学会「カルチュラルタイフーン2018」に参加してきました。京大で起きている立て看規制の問題について、知ってもらうために、プラ板の「タテカンカフェ通信」やビラを配布しました。反応はまずまず。詳しい報告はまた今度できればと思います。

 以下は、会場で配布したビラです。

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主体的な表現活動を制約するタテカン規制に抗議します

 学生らの重要な表現の手段である立て看板がいま、大きく規制されようとしています。昨年の12月19日に「京都大学立看板規程」の制定を京大は公表しました。この規程では従来キャンパス内外の様々な所に出されていた立て看板を大学が指定する場所にしか置いてはいけない、と定めました。さらに、立て看板の設置者、設置期間、大きさなども決められています。5月1日からこの規程は施行され、規程に違反する看板などの強制撤去が行われています。

学内の声を聞かず 

 2018年2月には学内諸団体が、「学生との話し合いのないままこのような規程が制定されたことは、学生の主体性を軽んじ、その自由な活動を制約するものであり、到底容認することができない」として、話し合いを求める要求書を文書で出しましたが、大学当局は、「『京都大学立看板規程』は既に大学として決定されたものであり、話し合いの場は設定しない」とメールで回答しただけでした。さらに、立て看板規制は学生どころか、教員の会議体でも十分に話し合われていないことが分かっています。3月の学生生活委員会(学生の課外活動などを話し合う全学の委員会)では、委員から、立看板設置について、この件について学生と話し合うように委員会として求めたいという動議がなされました。しかし、動議は、「賛否双方の意見があったため」に議決をしないことになってしまいました(公開されている議事録より)。もはや立て看板規制は、執行部と一部の事務の暴走によって進められています。現に、山極総長自身が、「市の指導に対して学内で相談して決めるのかといえば、そうではない。執行部が適切な答えをするしかない」(立て看撤去「対話できる訳ない」 京大総長、法令順守を強調 : 京都新聞)と、執行部の独走を認めています。


当事者の主体性を軽視

 立て看板はこれまで、学生を中心とした京大で活動する当事者が、主体的な活動の一環として、用いてきた表現手段です。使い方は様々で、自らの思想・信条に基づいた主張、大学当局や社会の不正を糾弾する主張から、自らの開催するイベントの告知、新規構成員の勧誘などがありました。そして、設置者は当然、その看板が通行人などに危険をもたらさないような配慮をしてきました。
 こうした立て看板に対する規制は、学生ら主体性を軽視しています。一方で、産業界で「使える人材」としての「主体性」は称揚されます。そして、現在の大学は、こうした産業界の要請に対してはただちに応じます。それは、大学法人の経営陣に産業界のトップが名を連ねているからであり、企業からのお金を多く受け入れることで企業体としての大学法人を経営しているからです。しかし、企業体としての大学では、学生の自発的な「主体性」というものは排除されます。「経営者」たちに都合の悪い主体的な活動はなかったことになされます。
 学生は、なにも「大人」の言うことをよく聞く、受動的主体なのではありません。大学というコミュニティのいち構成員であり、そして、一政治的主体なのです。そのことを認めない現在の大学のあり方の一つが、当事者との話し合いも当事者への説明も果たさない表現活動の抑圧である、立て看板の規制です。


思考停止の「コンプライアンス

 たしかに、「京都市屋外広告物等に関する条例」や「道路法」というものがあり、それに従うように求める圧力が京大当局にはたらいていたことは事実です。ただ、そこで、問うべきはそうした法令が、表現活動を大幅に制限することの妥当性であって、学内にまで規制をかけることではなかったはずです。現に、屋外広告物規制の法令には、必ず上位規定である憲法上が保障する「表現の自由」に十分配慮することが定められてもいます。「ルールはルールだから」というのは、ただの同語反復以外のなにものでもありません。権力がルールを振りかざして表現活動を抑圧しそのルールが妥当なのか問う声を無視することは許されません。
 しかし、実際に起こったのは、学生諸団体による話し合いの求めを拒否すること、設置をし続けた看板の強制撤去でした。執行部は、丁寧な合意形成をはかるのではなく、実力によって異論を封じ込めることを選択したのです。話し合いなどで、法令にも配慮しながら表現活動を尊重することも選択肢としてあったはずであるのに、まるで、反対する学生らはいないものとして排除されました。

何を問うべきか

 ここで私たちが問うのは、一部の執行部による大学の私物化と、当事者の主体性とその発露である表現活動の軽視・一方的制約です。これを問うとき、それは権力側に対してだけでなくわたしたち自身に対して向かいます。そもそも、「入試」という恣意的な選別によって、「学生」という地位は与えられています。その者だけに表現を認めようとする、その排除に基づく特権を「京大の文化」として守ろうとする、だけでは不十分です。表現主体を合意形成から排除する動き、主体的な表現活動を一方的に制約する動きを身近なところから問わなければなりません。また同時に、表現活動の内実、設置時の安全確保は様々な立場からの批判を踏まえ、在り方を再考する必要があります。一方的な規制は、こうした思考の機会を奪ってしまうという点でも問題です。

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参考リンク

資料

これまでのビラ

タテカン規制ちょっと待った!

 既にご存知の方も多いと思いますが、昨年12月19日、「京都大学立看板規程」
が制定されました。この規程は、立て看の設置場所を「本学が指定する所」に制限するだけでなく、立て看の大きさを2メートル×2メートルに制限したり、設置者の名前・連絡先の記載を義務付けたりしています。今年の5月から施行されます。

当事者の耳を傾けない

 この規程は、これまでにない大きな規制であるだけでなく、立て看を製作し設置してきた当事者の意見をなんら聞くことなく制定されています。仮に、立て看に何かしら問題があるとして、その問題への対策を当事者抜きで決めることが解決につながるのでしょうか。これまでの京大では、学生に関わることは、学生と「対話」し、合意を形成することを大事にしてきたはずです。たとえば、西部のボックス棟の建て替えでは、大学当局は学生の意見を尊重し、ボックスの24時間使用や学生による鍵の管理を認めました。当時の東山副学長が書いているように、「大学と学生とがより良い合意点を見つけ、早期完成に向けて努力する姿勢を持ち続け」てきたのです*1
 今回の「立看板規程」の制定は、昨年10月に京都市から文書による行政指導がきっかけであったと言われています*2。しかし、京都市の景観政策は大学周辺の公道に適用されるものであり、大学構内の立て看の大きさなどを制限する理由にはなりません。

 京都市から京大が指摘されているのは、立て看が、景観条例に抵触するということと、歩行者にとって危険であるということです。これについては、様々な意見があると思います。たしかに、「景観」も「安全」もそれ自体としては尊重すべきものでしょう。しかし、どういった「景観」を作っていくか、どうやって「安全」を確保していくかを考えるうえで、立て看製作・設置の現場にいる人間を交えないで生産的な議論ができるのでしょうか。

話し合いの要求に応じず

こうした観点から私たちは、2月8日付けで、学内諸団体の連名で京大当局に「すべての当事者が自由に参加できる公開の場での話し合いないし説明会の開催」を求める要求書を提出しました*3。これに対しての大学当局の返答は、「『京都大学立看板規程』は既に大学として決定されたものであり、話し合いの場は設定しない。また、説明会も開催しない。周知はキャンパスライフニュースで全学生に向けて大学の考えを発信する。なお、本規程に関する質問があるのであれば、学生意見箱で受け付ける。」というメールがあったのみです。こちらが、文書の形で正式に要求書を提出したにもかかわらず、川添理事は「文書による回答は行わない 」と話しているそうです。このような大学当局の姿勢には、疑問を感じざるを得ません。
 この問題を考えるべく、急にはなりますが、3月3日の午後3時から、文学部の第二講義室で、「立て看規制について考える集まり」を開きます。多くの当事者の方から意見を出してもらい、今後、協力していける点がないか検討したいと考えています。万障お繰り合わせの上、ぜひご参加ください。

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